療育をしていて、よく耳にする意見があります。
「将来大きくなった時に支援はない。だから(支援がなくても)できんといけん!」
「支援がない環境になれていかないとね」
こういった意見に対してどう思われますか?
幼稚園、保育園、小学校。
また、通級指導教室、支援級、支援学校、療育機関であっても、こういった見解の方がいます。
ただ、
・将来どうかはわかりません。そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
・将来支援があるかないか。は、今関係のない事であって、
過ごす、学ぶなら、やりやすい方が良い。(良い環境があるなら有効活用する)
という意見もあるのではないでしょうか。
将来の不確定な事を気にして今の本人にベストを尽くせない事は、残念に思えます。
支援がなくてもできるように~という気持ちはわかります。
「子どもが将来困らないよう教えてあげたい」と思っての事だとは思います。
が、実際にそれで本人が今適切に学べていますか?
その子の将来に支援があるかないか、断言できますか?
「将来なくてもできるように」のはずが、
「今、なくてもできないと~」に変わってしまってはいませんか?
同じ『障害』という枠で考えると以下のようになりますが・・・
「将来車椅子使えないかも~だから肢体不自由でもなんとか歩こう!」
「将来手話が使える人に会えないかも~だから難聴でも今から言葉で動けないと!」
納得できますか?
発達障害は見えない障害です。だからこそ支援者も勘違いをしてしまう、思い込んでしまう事があるのではないでしょうか。支援する人の主観により決めつけてしまう事は危うい事かもしれません。
支援者として、支援が日常化されるよう発信していく事も大切かと思います。
(スロープや点字ブロック、自動ドアなど・・・日常化されている支援も多くあります)
スモールステップ法にも関係する話ですが、
『理解しやすい方法があるのに、学ぶ時にそれを活用しない意味はない』
のではないでしょうか。
いずれにしろ、支援や学びという事は
「自分のやり方を押し付ける」のではなく、
「本人に合ったやり方」を模索していく事の方が大切かもしれません。
その為にも、自分の知識の引き出しを増やす自己学習は大事です。
自分の知ってるやり方だけだと、押しつけになりやすいですよね・・・
(他の方法を知らないので)